激動の海外展開―映画が世界をはばいていく瞬間  —高松美由紀

 坂本あゆみ監督と初めて会ったのは、2013年の東京国際映画祭が終わった年末のある日、国内の配給会社を決めるために開催された試写会の会場だった。実は今だから言うと、本作を海外にじゃんじゃん売っていく自信はなかった。だから、最初は、“さあ、どうしたものか”というような気持ちで海外展開に臨んでいた。

 そして、初めて作品を大画面で観た後、作品から滲み出るあまりの緊張感に自分の身体が試写室のイスに括り付けられているかのような感覚を体感。

 上映後に、坂本監督が挙動不審気味に目をクリクリ動かしながら、我々の前で本作に“FORMA”という題名をつけた由来を説明していた。その帰り、同行していた会社のメンバーが「ここ数年間に観た邦画の中で一番衝撃的だった」とポツリ。その言葉を聞いて、”この新しい原石、片っ端から世界中の映画祭で観てもらおう”と心に誓った。

 ベルリンの各部門の中でも最もアヴァンギャルドで先鋭的な作品を好んで上映すると言われている”フォーラム部門”での正式出品が決まった際、谷中プロデューサーには、私がどうしても譲れないお願い事を聞いてもらった。それは、「現地でしっかりロビー活動や作品の売り込みをするための広報のプロを雇う」という条件だった。ただでさえ、結構な出費になる映画祭への参加にも関わらず、谷中プロデューサーは気前良く「つけましょう。」と即答してくれた。映画祭に出品したことで完結したような気になっている作品が多い中、長期的なビジョンを持って坂本監督の知名度をあげるために、作品の売り込みを徹底的に行うということ、日本の映画業界に足りない事を谷中プロデューサーは、瞬時に汲み取って即決してくれたのだった。この判断が、今の世界中からの映画祭のオファーが途切れない大きなきっかけになっていること、追言せずにはいられない。

 こうして、ベルリンでは参加者全員が共同生活できるようなフラットを借りて、スタッフもキャストも我々海外業務チームも、みんなで濃密な時間を共有しながら、毎日映画祭の隅々をかけずり回った。そうして迎えた、FIPRESCI(国際映画批評家連盟)受賞式、坂本監督が涙を堪えながらも震える声で言ったスピーチ、今でもことあるごとに思い出す。「This is not the end. This is my start.(これが終わりではありません。これが私の始まりです。)」この瞬間、固い殻をかぶった、でも生命力に溢れた小さな種が、東京国際映画祭をきっかけに日本映画界という土壌に生み落とされ、深緑の芽が着実に天に向かって伸び、私達はこの瞬間にも新しい才能の歴史を共有しているのだ。

高松美由紀
株式会社Free Stone Productions代表
『FORMA』の海外窓口、国内宣伝を担当。