見る者の感覚を揺さぶり、生活を揺さぶり、安穏とスクリーンの前にいることを揺さぶる。恐い映画。  —瀬々敬久

 映画にも流行りすたりがあると思う。ファッションや文学と同様に、いやそれ以上にその時代時代に流行の傾向というのがある。たいていの作り手は、僕自身もだが、それに何とか乗り遅れないよう色々あくせくする。でも、本当の意味で僕の心を揺さぶるのは、そんな時代の流行とは関係ないところで作られている映画だ。『FORMA』という映画もそういうところに完全に背を向けている。いや、そんなこととは関係ないところで作られている。今の若い世代は確かに出ている。それは等身大な登場人物で、特別な人ではない、かと言って、昨今流行りの、いやもうちょっと前の感じかも知れないが、日常のフワフワした感じで勝負しているわけでもない。恋愛もコミュニケーションも不得手、かと言ってそれを得意げに表すわけでもない。デジタル撮影の人懐っこさと小気味よい編集もここにはない。登場人物がそこにいるだけ。それを確実で頑固なフレームと考え抜かれた人物の動線で、こう、一見投げやりに提示しているだけだ。

 反時代、そもそも”反”という発想もないのだろうし、時代というアプローチもない。だけど、ピリピリするくらい、今、現在を感じられる。それが、たとえ映画の中の時間だとしても。
この映画の魅力を語るのは難しい。でも、この映画しかないのだ。そう思わせる力がある。審査員を偶々やった東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門での審査も3分で終わった。三人の審査員が全員一致で押したのが『FORMA』だった。一言で言うならどうなのだろう。危険な映画。そんな言葉だろうか。僕にはぴったりくる。見る者の感覚を揺さぶり、生活を揺さぶり、安穏とスクリーンの前にいることを揺さぶる。恐い映画だと思う。この映画感覚は、あえて言うならミヒャエル・ ハネケの映画に近いと思った。ズシリと心の内奥にまで映画が届いてくる感覚、決して視覚的な派手さはない、だけど人生のやりきれなさや人間のどうしよもなさが心理として伝わってくる。だが、ハネケは50歳近い年齢で映画を発表し今や70歳を超える達人だ。一方、『FORMA』の坂本あゆみ監督はまだ30歳を少し超えた程度、なのにここまでの到達点に達している。末恐ろしい。

 自分たちが生きているこの世界そのもののような映画を作りたいという欲望が自分にはある。そうやって作ろうとして毎回挑む。だけど、なかなか出来たためしがない。出来たと思ってもそれは一瞬で、翌朝には、これは作り物でしかないと幻滅する。だけど、この『FORMA』はまさに、生きているこの世界そのもののような映画だと思う。震えて観るしかないのだ。

瀬々敬久
2010年、4時間38分という長尺映画『ヘブンズ ストーリー』を手がけ、第61回ベルリン国際映画祭にて国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI)を受賞。最新作は『マリアの乳房』。